笠懸野岩宿──。赤城山麓に人類が棲息した時代へと想像を巡らせながら
縄文時代初頭の遺跡探索に明け暮れていた青年・相沢忠洋が昭和24年、近世に築かれた
桜堤に囲われる農業水池へと通ずる切通しの地層断面に黒耀石の鏃を発見した地である。
当時、日本列島の最古の文化は、5〜6千年前に始まる縄文土器の文化である
というのが考古学の定説だった。相沢忠洋の探索の目は学会の常識では人類の痕跡がないはずの、

数万年前〜1万年前にかけての火山灰が降り積もってできた赤土層に注がれていた。

「ついに見つけた!“定型石器”それも槍先形をした石器を。この赤土の中に・・・。」
日本史を一気に旧石器時代にまで遡らせた衝撃的な岩宿遺跡の発見である。

赤城山麓の旧石器人は黒耀石を砕き、鏃とした。それが岩宿人の生活史の始まりであり、
彼らが石器とした黒耀石は、数万年前のハイテク素材だった。
単なる石が石器となる人間の英知に導いた契機は何だったのか──。

そして現代のハイテク素材シリコン硅石。
 シリコンはラテン語のSilicis=火打石から来たといわれている。火打石は、原始人の主要な

石器素材でもあった。そして、現代人はシリコンを人工頭脳の主たる素材として使い、

エレクトロニクス・ソサエティを創りだした。それは黒耀石から硅石を結ぶ真石器時代といえる。

時空を越えた《石器文化の記憶》裝置が、笠懸野岩宿の地に形成されたスペースメディアとなって、
文化への感性を《未来の記憶》へと覚醒させる。

そうした笠懸の“場の記憶”や“場の力学”を顕在させる、考古学上の原点に立地する
笠懸野岩宿文化資料館の計画は、風土の記憶と文化の力学を、展示から建築、
さらに外構環境へと連ねながら体現する“小さな”都市計画といえる。
都市には、さまざまな人びとが集い、情報を交換し共有する。
そうした交流から生まれた新たな情報が、そのまま別の空間へと発信されていく。

空間とは、まさにそうした“場力”を発生するメディアそのものである。

笠懸野の石器文化の記録を体現する建築と外搆。知的参加を触発する展示と空間。
時空表現言語となる映像と造形──。それらが、情報を人間との関係において成立させる
インターフェイスや、情報を装置化し環境と融合させるインスタレーションとなって、
人間文化に内在するインテリジェンスを空間へと釀成する。そうした展示計画そのものが、そのまま
建築計画へと連なって、笠懸野の人間文化を体現する都市的なスペ−スメディアを形成する






事業・運営主体 笠懸町・笠懸町教育委員会 環境・建築・展示設計
所在地 群馬県新田郡笠懸町 NHKエンタープライズプロデュース
敷地面積 10,357.3F 空環計画研究所/基本計画
建築面積 1,214.6F 千代田化工建設/設計監理
延床面積 1,836.5F 展示企画・映像制作 空環計画研究所
展示空間(含、ロビー空間) 832.2F 建築施工 五洋建設・藤正建設JV
建物構造 地上2階建 RC造・一部S造 展示施工 千代田化工建設・乃村工藝社
完成年月 1992年10月




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